2016年4月23日土曜日

アメリカの出来事④ (ワールドトレードセンターが.......。)

いま自分の書いたブログも100話近くになろうとしています。
最近ちょっと話題不足なので、初期のものであまり皆さんに読んでもらえず埋もれていたものを再投稿してみましたので、読んでやってください。
私もまだ若かったのですが、すでにハチャメチャはこの当時から変わっていなかったんだなーって。


若い時分から何回かアメリカには行く機会があって、そう、1ドルが250円という今では考えられない時代からのお付き合いなのですが.......。
でもそんなに何回も行っているのにこんな経験初めてで、今でも鮮明に覚えてるエピソードがあるんです。


それは2001年9月16日。そうアメリカの同時多発テロが発生してニューヨークのワールドトレードセンターが跡形も無くなってしまって1週間後の出来事。
別にこの日をわざと選んだ訳では無いけれど、ボストン郊外(マサチューセッツ州のガーデナー)という片田舎に住んでいる高齢の義理の母に会うために予定していたスケジュールで、先に皆んな待っている予定に。


何時も、シカゴで乗り換える時にアメリカの入国審査を受け、国内線に乗り継ぐけど、この日も覚悟はしてたけど案の定、審査前のこ長蛇の列。
まあ、事が事だけに当たり前。 でもどういう訳か、1列だけは並んでいる人数が異常に少ない。
車の渋滞や列んで待つ事の我慢できない私だけど、この日ばかりは一瞬戸惑ったんです。
黒人(決して差別ではないので勘弁してね)女性の審査官のところには行くな!(◎_◎;)
こんな言葉が頭をよぎったんです。  でもその列はこっちの5分の1もいない。
ついに私は誘惑に負けてしまった。

『目的は❓』
『観光』
『滞在何日❓』
『1週間 』
『滞在先は❓』
『友達の家』
『はい、住所書いて〜』
『????番地が分からないんだけど.....。』
実は番地まで覚えていなかった。書き用がない。
『場所もわからないのにどうやって行くの❓』
『友達がボストンの空港まで迎えに来ることになっているんだけど....』  

やり取りはこれだけ。勿論やり取りは英語。
ところがこの審査官、なんと私を許さなかった。私が挙動不審に見えたのか、別室へ行くことになってしまいましたー。
まあ、乗継まで2時間あるし、どんなかなーなんて能天気な気分も半分あり、係官の後に附いていく。
取り調べ待合室に到着すると、そこもごった煮状態。
やはりイスラム系が大半。アジア人は私以外にいない。
10分位そこで待たされて人様が調べを受ける状態を目の当たりにしたけど,TVでよく見る紳士的なものと違って、当時はまさにアメリカ自体がショック状態。取り調べ係官も、口汚く相手を罵ることをはばからない。

私は決めたた。
そうだ❗️言葉がわからない素振りをしようっと❗️
『手荷物見せなさい』 この後、生年月日から始まって色々質問されたけど、WATASHI WAKARIMASEN。を貫いた。 ウンこれでいけるかも。 という時に、別な係官が入室してきた。
以後の言葉をそのまま直訳すると。
同僚に
『こいつどうした❓』
『なんか友達に会いに来たみたいなんだけど、言葉もよくわかんないし、、、』
パスポートを見て
『こんな時にジャップがよく来れたなー❗️』
この一言を聞いてプッツン。思わず相手を睨んでしまった。 クウーしまった!.......。
『こいつ言葉がわかってるじゃないかー ❗️』
作戦失敗。後は罵詈雑言、パワハラの雨あられ。挙げ句の果てに胸ぐらを掴まれた。
ここまで行ってしまうと、あとは野となれ山となれ!胸倉をつかまれた手をとっさに目いっぱいの力で叩き落としてしまった。

このあと私が叫んだ事で覚えているのは、
『拘束している理由を言え!』
『弁護士を呼べー!』
という事と、
『好んでアメリカに来たのではない、直ぐさま日本への送還手続きを取れー。だれがアメリカなんぞに上陸するかー❗️』くらいだった。

そしてはやくも2時間が経過する。 ここでふと背後を見ると、航空会社の係員がガラス越しに心配している様子。
 アッ❗️  ボストンへのフライト時間が迫っている。もし解放されてもシカゴ空港はひろいので間に合わせるために、係員を待機させてくれたのだ。

私を担当していた係官はというと、別な部屋で上司と思われる人と、私の事を相談してい
るのが見える。
ああ時間切れだー......いよいよ日本に帰る覚悟をしたときに
『どうぞ行きなさい。』くらいだった。
 呆気に捉われる暇なく、航空会社の係員とあの馬鹿でかいシカゴ空港をモーレツダッシュ。
それでも5分位、飛行機を遅延させてしまった。
よくフライトに遅れて乗ってくる人が良くいるが、私がそれをしてしまったのはこれが初めて。
みなさんごめんなさい。
当時もこの天井のデコレーションはあった。
そして、日本に帰国してしばらくたってから分かったことだが、 それは犯人のうちの1人のアメリカでの行動ルートにあったのがわかった。
テロリストの移動ルートと私のフライトルート、シカゴーボストンーフロリダーシカゴこのルートと同じであったこと。

このときの教訓。

 皆さーん うそついたらだめですよ〜。つかまりますよ〜。