2016年4月25日月曜日

北京の出来事(13億分の1)

『ラストエンペラー』という映画を覚えてます❓ジョンローンが愛新覚羅薄儀という清朝最後の皇帝を演じた作品。音楽も坂本龍一だったようなー。
この映画を観て単純に、ああ紫禁城を絶対見たい❗️この眼で見たい❗️という事で出発。
一般的に中国では英語も通じないという事で、添乗員さんがいる北京ツアーを選択し、当日, 成田のツアーデスクに到着。 ボーデイングパスをもらって機中へ。 本当にアッと言う間のフライトで、えっもう着いたの❓そんな感じを受けた。
そして入国審査を受け、ツアー集合場所へ行くと、手に⚫️⚫️ツアーと看板を持った人がいたので近寄って行くと.......
『カキヌマサン  コンニチハー。 ワタシ  テンジョウイン ノ チョーデス。』
中国訛りだけれど解りやすかった。でも待てよ❓何で私の名前をこの人はわかったのか❓
『張さん❓何で名前がわかったの❓』すると。
『今回のツアーはカキヌマサン1人。だから貸し切り。好きなとこ行けるよ❗️』
ちょっと待てー❓ツアーって最低催行人数って決まっているんじゃない❓そもそもツアーキャンセルの連絡も受けて無かったし。でも考えるとラッキー。専属通訳ガイド付きな訳だから。 ホテルに着くと早速翌日からのツアー行程を全く無視してブリーフィング。 本当はぜったいいけないことなんだろうけど。 勿論メインは紫禁城。あと特別にお願いしたのは『本場の京劇鑑賞』あとはおまかせ。勿論食事も楽しみに。
『カキヌマサン1人だから、乗用車で案内するよ。貸し切りね!』
ああなんてラッキー!お陰でこのツアーでは、日常の事から、政治的な事までその当時の中国人が考えたり、思っていることを聞く事が出来て非常に興味深かった。
今の北京からすると全く想像もつかない位、当時はチャリンコ全盛期。それもウジャウジャ。乗用車を持っている個人は少なかった。  だから張さんを質問攻めに…。
北京市内にある北海公園を散策中に...
『張さんの今やっている仕事は、給料どこから出るの❓』
わたしは不躾にもこんな質問をしてみた。すると
『ガイドはアルバイト。 本当は学校の先生。 家内も同じ先生。今の中国人はみんな副業をやってますよ。』
『それって結構高収入じゃないの?』
『いやいや、安月給ねーカキヌマサン。あそこに公園内の売店があるでしょ? 牛乳とか、パン売ってる人。あの人達も公務員。教師やっている私も公務員。全く同じではないけどアルバイトしなければたいへん。子供の教育費がすごく高い。都心部に住んでる人は大変です。』
北京で教師をしていて、外国語も話せる。どちらかといえば、エリートである人。そんな人だからこそ内情もフランクに話をしてくれたのでした。
ツアーもなるべく人の少ない時間を狙って紫禁城をみたり(実際にあの広大な敷地の中でたった一人ということが起きた!コレはもはや至福のときであった。) 京劇もVIP席で梅蘭芳のお弟子さんの演目(覇王別姫)
を見ることができたり....。(でもこの当時に中国では一般の人は京劇には無関心になっていたらしい。)
こんなすばらしい体験をさせてくれたのだから、張さんに何とかお返しがしたい。そう思い、ホテルのフロントから仿膳飯荘(ホウゼンハンソウ)という宮廷料理の店に予約を入れてもらいました。
今でこそ知っている人も、実際に行かれた人もいることでしょう。倣膳飯庄は80年の歴史を持つ中国国内最初の宮廷料理レストラン。でもその当時と違うのは、中国人は入れなかったんです!
そんなことと知らず、到着。
『張さん!今日はあなたにお礼をしたい。だから一緒に食べましょう!』
張さん、はたと困って支配人と話をしている......。私はそんなこととも知らず、張さんを促す。
何とか交渉がうまくいったみたいで、その後席へ。  私は当時の一番高いメニューを選んで、
楽しい食事を、また、張さんにお礼ができると喜んだだけだったのだが.....。
どうも張さんの様子がおかしい....。  宮廷料理が次から次へと運ばれてくる。
『どうしたの張さん。食べよー』『......』うつむいたまま箸をつけてくれない。
『カキヌマサン 有難いです。でもね、カキヌマサンが今日頼んだ料理の金額はわたしの1ヶ月の給料と同じです。もったいなくて....』
この一言で私は自分が相手にしたことを恥じた。ああ何ていう事をしてしまったのだろう。
『張さん。あなたの立場を考えなくてごめんなさい。』
私は素直に謝ることしかできず、この場の雰囲気をどうしたら変えられるか困っていたら、張さんから一言。
『カキヌマサン 私は料理よりも現金の方がイイです。』!!!!
流石中国大陸! その後男同士で料理はおいしくいただきました。
勿論最後のお別れの日、張さんには別途、感謝のお礼をさせていただきました。
本来であれば、ここで話は終わるのですが、ここからが本題です。
『張さん。これからもこの副業は続けるの?』
『はい!日本語を生かして旅行代理店を作って日本人をたくさん呼びたいんです!儲けたいです。』
『あなたなら絶対できる。頑張って!また近いうちに北京へ遊びにくるからねー!』私は感極まって張さんをハグしてしまったのですが、張さんは照れくさそう。
その後、大好きな紫禁城目当てだけで北京を何回か訪問したけど、残念ながら張さんとはあっていなかった。 そして月日は流れ5年後。友人と会うために、待ち合わせ場所をニューオータニにしていた。 すこし早く着いたので、ロビーのコーヒーショップでお茶を飲んでいたときの事。
.......どっかで聞いたことのある声だ........   いやそんなことない........。
少し離れたテーブルで大きな声で打ち合わせをしている人達がいる。(中国人は昔から声がでかい人が多かったのか)どうもそれらしい.....やはりそうだ!    
『張さん!!』
『.......あっカキヌマサン!!』
そう彼は今や社長として旅行会社を立ち上げ、ビジネスとして自ら日本人客誘致のために来日していたのだった。
『張さん!おめでとう!やったねー。』
再会の確率を考えると因縁を感じた出来事でした。謝謝!